大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所大法廷 昭和24年(つ)31号 決定

主文

原決定並に、飯田簡易裁判所が昭和二四年二月一二日被告人石槫邦夫に対する暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件に付為した正式裁判の請求を棄却する旨の決定を取消す。

本件を飯田簡易裁判所に差戻す。

理由

本件抗告の理由は末尾添附別紙記載のとおりである。

仍って按ずるに、憲法第三七條第三項は、「刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する」と規定しているので被告人は刑事訴訟法上被告人に許される訴訟行為についてはその性質上被告人自身でなければできないものを除いては、之を弁護人に委任することができるものと解すべきである。旧刑訴第五二八條第一項には、「略式命令を受けたる者は……正式裁判の請求を為すことを得」と規定し、正式裁判の請求を為し得る者は略式命令を受けた者自身に限りこれを弁護人に委任することを得ないと解すること從来大審院の判例とするところであったのであるが、刑訴應急措置法第二條に明示する如く、旧刑事訴訟法は日本国憲法制定の趣旨に適合するように解釈すべきことは当然であるから被告人は旧刑事訴訟法上略式命令に対する正式裁判の請求をするについても、資格を有する弁護人に依頼することができるものと解釈しなければならない。そして被告人は特に、正式裁判の請求をすることを依頼する旨明示しなくても略式命令を受けた被告人が自らの被告事件について、弁護士たる弁護人に弁護を依頼したときは、正式裁判の請求をすることをも依頼したものと見るのを相当とするから、かゝる場合その弁護人は被告人を代理して被告人のため正式裁判の請求をすることができるものといわなければならない。その際被告人の代理であることを明示することは必ずしも必要とするものではなく、弁護は、正式裁判請求書等一件書類によりその趣旨が看取できれば足りるものである。(昭和二三年(れ)第三七四号、同二四年一月一二日大法廷判決集三巻一号二〇頁参照)そして本件についても抗告人は、飯田簡易裁判所に対し、正式裁判請求書と同時に被告人から弁護士たる抗告人を被告人の前記被告事件の為弁護人に選任する旨の選任届が提出されていることは被告人に対する前記被告事件の記録に徴し明である。してみれば被告人は弁護士たる抗告人に略式命令に対する正式裁判の請求をすることをも依頼したものと解すべきであって、抗告人は被告人を代理して被告人のため右正式裁判の請求をすることができるものとしなければならない。原決定が略式命令に対する正式裁判の請求は略式命令を受けた被告人自身に限りこれを申立てることができるもので弁護人に依頼し弁護人から被告人の為にこれを申立てることはできないとしたのは、憲法第三七條第三項の趣旨に反するのみならず略式命令が違憲性なき唯一の根拠たる正式裁判を請求する権利については特に尊重することを要するわけであってもし然らずとすれば略式命令を受けた刑事被告人に対し、裁判所の公開裁判を受ける権利を奪うことになるので憲法第三二條同第三七條にも違反するものである。故に本件抗告は理由があるから刑訴施行法第二條旧刑訴第四六六條第二項に則り主文のとおり決定する。

右は、裁判官塚崎直義、同真野毅、同小谷勝重、同穂積重遠の理由に関する少数意見を除く他の裁判官全員一致の意見である。

本件決定の理由に関する塚崎、真野、小谷、穂積各裁判官の意見は次のとおりである。

憲法は、国民の基本的人権を保障すると共に、その直接の擁護者として弁護人の地位職責の重要性を認め、数個の規定をさえ設けている(憲法三四條、三七條、七七條)。旧憲法においては、全篇を通じてどこにも弁護人又は弁護士の文字は現われていなかったことに想い到るとき、うたた隔世の感なきを得ない。そして、国家はつとに法律及び法律実務に通ずる一定資格を有する者を弁護士として公認し、刑事においては被告人弁護の任に当らしめる制度を設けていたが、新憲法の趣旨に從って新弁護士法は制定せられ、弁護士会の完全自治さえが認められるに至った。この新弁護士法一條一項は、「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」と高らかに定めている。そして、この弁護士の使命、性格は、從来も識者によってしばしば傳えられていたところのものであるが、ついに新法によって明らかにここに法制化するに至ったのである。去る七月一〇日この新弁護士法公布祝賀大会に寄せられた連合国総司令官マックアーサー元帥のメッセージの一節においても、「弁護士の職業は、まことに意義深いものである。なぜならば、現今日本人が憲法の保障の下に與えられている様々の基本的権利と自由を擁護し伸長する重任が、弁護士の職責を遂行する上において、その双肩にかかっているからである。弁護士諸君が、今後いかに、この聖なる戒律に献身していくか、公的責任(パブリック・レスポンシビリティー)の信託に対し誠実に應えていくか、また真理の探究を撓まず続けていくかの尺度に從って、將来日本が世界の自由国家の仲間内において占める偉大さの尺度が測り知られるであろう。」と強調されている。これは、まさに新憲法、新弁護士法の下における日本弁護士の公的責任が、いかに重大であるかを卒直に物語っている。由來弁護士は裁判官、檢察官と共に司法における三位一体として欠くことのできない必要な機関であることは、すでに相当廣く認識されていた。ただ今日はさらにその一層深い認識が要請されるのである。この司法の三機関は、等しく司法に献身し協力するものではあるが、それぞれの機能職責の異るに從って、その性格を異にする。裁判官は、国家の裁判機関の構成者であって、訴訟当事者の何れの一方にも偏らず公正無私に、その良心に從い独立してその職権を行い、ただ憲法と法律のみに拘束される司法的公務員である。檢察官は、檢察機関の構成者であって、公訴を行い、裁判所に法の正当な適用を請求し、かつ裁判の執行を監督する行政的な公務員である。その本質は行政官なるが故に上司の指揮監督に服するは勿論である。この二者に反し、弁護士は刑事訴訟法においては弁護機関の構成者と見るべきものであって、訴訟当事者である被告人のために弁護事務を行うことを職務とする自由な立場に立つ非公務員である。形の上においては、司法官でもなく、行政官でもなく、いわゆる自由職業に属する。世界における弁護士の歴史を繙けば通常の弁護士制が廃止され官吏弁護士制が設けられた事例もないではない。例えば、プロシヤのフリードリッヒ大王時代1781年フリードリッヒ法典の制定と共に、カルマー改革によって從来の弁護士制を全廃し、アッシステンツラート(訴訟補佐官)という純然たる官吏弁護士制を設けたことがある。しかし、これは不親切不熱心な官吏弁護士に対する一般民衆の不信と不満とのために、数年ならずして旧來の弁護士制の復活を見るに至った。フランスにおいても革命に際し一七九〇年に弁護士制は廃止されたが、約一〇年にして旧來どおり復活したことがある。また、ソヴエートにおいて、一九一七年の共産革命の初期に弁護士制を廃止したが、数箇月後には再びその必要を認めて復活するに至ったと傳えられている。前述のように弁護士は被告人の基本的人権を擁護し被告人の利益を保護する任務を有すると共に、これによって社会正義を実現する公的責任を負担するものではあるが、その職務の本質上、純然たる官吏又は公務員たるよりは自由な民間人たることが必要かつ適当であることが、古今東西の弁護士の歴史の上において、実証されているのである。わが弁護士もその就職の形式においてはもとより全官全公の地位にあるのではないが、その職務の実質においては半官半民、半公半私の一種特別な立場にあるものである。いわゆる公職追放令においても個々の弁護士は公職として認められていないが、弁護士会の会長、副会長は主要公職として認められている(追放令別表第二、八号)。かくて、刑事訴訟の分野における弁護士の地位は、原則として刑事被告人のための弁護機関(訴訟法にいわゆる弁護人)の構成者たる性格を有するものであって、刑事被告人の代理人たる性格を有するものではない。そして、この理は、弁護士が私選弁護人たる場合においても、国選弁護人たる場合においても、全く同一である。從って、刑事弁護士は、弁護機関の構成者として弁護機関の権限に属する事項を行うものであって、刑事被告人の代理人として被告人の権利をこれに代って行使するものではない。丁度ある者が株主総会において取締役に選任され就任すると、会社機関たる取締役の構成者として取締役の権限に属する代表権及び業務執行権を行使するのと同様に、弁護士は被告人又は国から弁護人に選任され就任すると、弁護機関の構成者として弁護機関の権限に属する弁護権を行使するのである。また取締役員が会社又は株主総会の代理人ではないのと同様に、弁護人は選任者たる被告人又は国の委任代理人ではない。そして、弁護機関の権限は、法律において、特に弁護人の訴訟行為として明定したもの及び弁護機関の本質に照らし弁護権の行使に必要又は適当と認められるものの両者を含むものである(その詳細については、昭和二三年(れ)三七四号、同二四年一月一二日大法廷判決、判例集三巻一号二二頁、裁判官真野毅少数意見参照)。

さて、本件において被告人は、飯田簡易裁判所の略式命令に対し、弁護士前沢英文(抗告人)を弁護人に選任し、同弁護人は適法の期間内に正式裁判の請求をした。右弁護人の正式裁判の請求は、弁護機関の本質に照らし弁護権の行使に必要なものであることは明白であって一点の疑いもないところであるから、当然弁護機関の権限に属する。從って被告人から弁護人選任せられた前沢弁護士はその権限の行使として法律上当然に正式裁判の請求をすることができるものと言わなければならぬ。されば、正式裁判の請求は、被告人自らがなすべきものであって、弁護人がするのは不適法だとして請求を棄却した飯田簡易裁判所の決定並びにこれを是認した原審決定は、共に違法であるから取消すべきものである。

最後に、多数意見は右と結論を同じうするけれども、その理由において「被告人は特に正式裁判の請求をすることを依頼する旨明示しなくても、略式命令を受けた被告人が自らの被告事件について弁護士たる弁護人に弁護を依頼したときは、正式裁判の請求をすることをも依頼したものと見るのを相当とするから、かかる場合その弁護人は被告人を代理して被告人のため正式裁判の請求をすることができるものといわなければならない」としている点は、われわれと見解を異にする。弁護士と被告人との間の委任関係ないし信託関係の内容がどのようなものであるにせよ、それは飽くまで両者間の内部関係に止まるに過ぎないものであって、弁護人として行動する弁護士の訴訟行為が有効であるか否かの外部関係には毫もかわりがないのである。すなわち、弁護人に選任された弁護士は、多数意見のごとく被告人の依頼の趣旨から、被告人の代理人として正式裁判の請求ができると帰すべきものではなく、上述のごとく弁護機関(弁護人)の構成者として弁護機関の権限を行使し得るが故に、一種の国有の権利として正式裁判の請求ができるものと論定すべきである。また、多数意見は「その際被告人の代理であることを明示することは必ずしも必要とするものではない」と説明している。しかし、代理人の行為が、直接本人に対してその効力を有するためには、代理人がその権限内において本人(被告人)のためにすることを示して行為をすることを要する(民法九九條)。この点においても多数意見の判示は代理の観念に反するように思われる。この際弁護士は單に弁護機関(弁護人)の構成者として行動しているのであって(從って法律上は弁護機関の訴訟行為があるだけであって)、どこにも代理人たることを示して行動しているのではない。刑事における弁護人選任届は、弁護機関(弁護人)の構成者を選任する旨の届出であって、民事における訴訟代理委任状のごとく訴訟代理人の権限を明確ならしめる旨のものでない。さらにまた、実証的に言っても、刑事訴訟において弁護士は、弁護人として行動する意識はもっているが、刑事被告人の代理人として行動するというような意識はもっていないと断言することができよう。要するに、多数意見が從来の通説に反して弁護人による正式裁判の請求の効力を認めた点は、確かに一つの進歩ではあるが、その理由の根拠を代理関係に求めたことは、未だ新憲法下における弁護士の地位職責を真に、理解せざるに出ずる誤謬であって、われわれは到底これを是認することができない。

(裁判長裁判官 塚崎直義 裁判官 長谷川太一郎 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上 登 裁判官 栗山 茂 裁判官 真野 毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 齋藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介 裁判官 穂積重遠)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例